明治中期、厳冬の富士山頂で世界初の冬期連続気象観測に挑んだ夫婦が居た。気象学者の野中到と夫人の千代子である。この史実を題材にした新田次郎の小説『芙蓉の人』は、日本文学不朽の名作として今も読み継がれている。
前人未踏の挑戦の陰にあった一人の気高き女性・千代子の苦闘が描かれている。長い山頂生活は、まさしく「死をかけての仕事」。トイレもなく2間×3間を3部屋に区切った観測小屋。零下20度以下にもなる極寒の富士山頂での2時間おきの観測は過酷極まりなく、それぞれが重い高山病・浮腫・高熱に侵され、やがて食事もままならず心身ともに弱り、野中到はついに寝たきり状態になる。
もうろうとする意識の中「もし、おれが息を引き取ったらその水桶に入れて機械室へ転がし、気象観測はお前ひとりでやってくれ。」と千代子に言う。彼女は毅然と言った。「私の野中到は死んだらなどという弱音を吐く男ではなかったわ。そんなことを云うだけの力があったら、粥のいっぱいも食べたらどうなんです。薬でも飲むつもりで食べたら、力がでてきて病気なんかふっとんでしまいますわ」と自らも死の淵に居て、涙ながらに夫を励ます。極限状態で戦い抜く夫妻の姿が迫真の筆致で描かれています。
「もうだめだ」と思うことがあろうとも、決してあきらめない。やり遂げるまでは下山しない。死んでも記録は必ず残すのだという強い覚悟の人の生き様が読む者の心を打ってきます。
凛とした気品をたたえ、美しく咲き誇る芙蓉の花・千代子は51歳でこの世を去り、到は87歳で亡くなるまで妻への感謝を決して忘れることはなかった。褒章の話があっても「私一人でやったのではなく千代子と二人でやったもの」と言い、その栄誉を受けようとはしなかった。私はただただ胸がいっぱいになります。
世の多くの男性の傍らには、人知れず「芙蓉の花」が咲いているのではないでしょうか。誰に観られるでもなく明るく朗らかに支え、粘り強く生きる女性『芙蓉の人』に心が震えました。
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