社長インタビュー

「想いをひとつに…幸せを届けたい」という今日の経営哲学や実践はどのような背景に基づいて培われてきたのか、社長 上野芳一に聞いてみました。

鉛筆一本、スコップ一本からの創業

――この仕事をするようになった創業までのプロローグを聞かせてください。

社長:私は旧藤島町に生まれ、両親は農業や出稼ぎで私たちを育ててくれ大変働き者でした。
一度は、大学進学も志したのですが、家のことを考えて20歳頃に、縁故の勧めで鶴岡の住宅設備関連の会社で働き始めました。
 自分には、机の上でする仕事が向いていると思っていたので、技術職の今の仕事は向いていないからと、それこそ毎日毎日辞めようと思いながら働いていました。それが、このとおり人がいいもんですから(笑)辞められなくて、そのうちにお客様から可愛がってもらえるようになったのです。毎日、自分宛の電話がきて、「お客様が喜ぶこと」のうれしさに幸せを感じてしまったのでしょうね。いつからかガラス張りのショールームにキッチンを置く、今のようなスタイルをおぼろげながらイメージしていたように思います。入社して3年ぐらいの頃でしょうか。この仕事でいこうと決めたのは…。
 転機は、私が28歳位の頃です。スタッフが一人去り、二人去り、最後は社長夫婦と私だけが残り何とか経営をつないでいたのですが、ある日のこと、ついにその社長夫婦までが夜逃げをしてしまいまして、残されたのは私ひとり。途端に会社にもわが家にも取り立て業者やヤクザがつめよせる日々が始まりました。収入は当然ゼロですから、生まれたての子どものミルクを買うにも心が痛みました。ただありがたいことに、心配してくれた住宅関連会社の方々には、ずいぶんと再就職の声をかけていただきました。さまざまな縛りでそれもできずに、結局は、一人で出来る仕事を始めるしかなかったのです。

――文字通り、「鉛筆一本、スコップ一本」からの出発とのことですが…

社長:スコップ一本を片手に、風呂釜交換、ボイラー修理、便器交換など、できる事は、何でもしましたね。「大きい浄化槽を手掘りで埋めた」なんて言ったら今では信じられないでしょう。本当なんですよ。徹夜の作業も、しょっちゅうでした。一番の思い出は、深夜の2時か3時にパイプにつかまって寝ていると、女房と母親がおにぎりを差し入れてくれるんです。(笑)とにかく無我夢中でした。ありがたい事に、不思議といろんな人たちがいろんな事を私に教えてくれ支えてくれました。それは、鉛筆一本、スコップ一本揃える事からの始まりでした。
 おかげで、一年ぐらいで、仕事とスタッフが増え、プレハブの事務所を建てることができました。そこから鶴岡市の水道設備工事指定店の公認も受け、二階建ての新社屋を造りそこで10年ぐらい、平成9年に現在地に新築移転して今に至ります。
 このように話すと、順調に発展してきたように聞こえますが、一朝一夕でできたわけではありません。スタッフも車も取引先やお客様だって増えては減り、そしてまた増えての繰り返しで、今日まで続けてくることができたのです。

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